院長ブログ
硫黄島で戦った元米兵、65年の歳月を経て思いを語る
(CNNニュースより)
「あの地へ戻りたいと思ったことは一度もなかった。しかし行って本当によかった」――。65年の歳月を経て第二次世界大戦の激戦地、硫黄島の慰霊式に参列した元米兵が、再び硫黄島の地を踏むまでの長い年月を振り返ってこう語った。
硫黄島の慰霊式に参列した元米兵
フロリダ州ベロビーチに住むジェリー・イェリンさん(87)は22歳になったばかりの1945年3月7日、P51戦闘機のパイロットとして硫黄島に降り立った。「一方では大量の日本兵の遺体の山がブルドーザーでかき集められ、われわれの戦隊の後ろには米海兵隊の遺体安置所があって身元確認が行われていた」。この記憶は生涯消えることはなかった。
今月3日、65年ぶりに硫黄島を訪れ、慰霊式に参列した。硫黄島の戦闘では旧日本軍の2万2000人、米軍の6000人が死亡。慰霊式は95年以来、この戦没者を悼んで日米合同で営まれている。
当時、地上で戦う海兵隊を空から何度も援護したというイェリンさんは「地上の人たちを人間と思ったことはなかった。憎しみが強ければ、相手を人間とは見られなくなる。日本にまた行きたいとは思わなかった。敵地をわざわざ訪問したいわけがあるだろうか。戦った相手、憎んだ相手を訪ねたいと誰が思うだろうか」と振り返る。
転機は88年に訪れた。息子が結婚を望んだ女性は、硫黄島で戦った旧日本軍のパイロットを父に持つ日本人だった。親類は2人の結婚に反対したが、結婚式の3日前、父親同士が会うことになった。
「私は彼を憎み、彼は私を憎んでいた。しかし彼は言った。『日本軍と戦ってP51を飛ばし、生き延びた男なら、勇敢な男に違いない。自分の孫に、その男の血が流れることを望みたい』と。そして息子は結婚し、私の人生は広がった。あの戦争で殺されたのは人間だったと悟った。彼らは親切で明るい人々で、今では私の家族になった」
イェリンさんは昨年、この経験をもとに「Of War & Weddings」という小説を出版。それでも硫黄島を訪れたいとは思わなかったが、死んでいった仲間たちの慰霊ができると言われて心が動く。それを知った18歳の孫が、かつて2人の祖父が戦った地を見たいと言い出した。
「日本人の孫が行きたいと言うからには、行かなければならなかった。行って本当によかったと思い、胸が高鳴った。降り立った瞬間から、ほとんど1日中涙が止まらなかった。数々の思いがこみ上げ、そしてわれわれは16人の仲間をしのんだ」
この記事を読んで、、、思わず涙が、、、
こちらが逆の立場でも同じことをしたでしょう。
許しあえること、、、これはすごい事だと思うのです。
戦争はどちらが正しい、どちらが悪いと単純なものではありません。
戦うなら、人類の敵、地球の敵と闘わなければ!