院長ブログ
クリニックのBGM
今日はクリニックのBGMをマイルスデイビスのジャズにしてみました。
いつもはクラッシックをかけているのですが、それでは他のクリニックと変わり映えがしない、、、何か壁を壊して、他と違ったことをしてみたい、、、お叱りを受けた時はその時はその時と、、、
でも、意外に反応がないんですね~ まあクリニックにBGMを聞く余裕のある人がどれほどおられるのかということもあるでしょうが、、、
マイルス・デイヴィス(1926~1991) 時代の最先端をひた走った“ジャズの帝王”
しかし、なぜマイルスは帝王と呼ばれるのでしょうか。それは彼が常に時代を先取りし、最先端を行く音楽を創造し続けたからです。
マイルスがプロとして活動しはじめたのは1940年代半ば。当時もっとも人気のあったトランペッターは、抜群のテクニックに支えられたディジー・ガレスピーでした。しかし残念ながら当時のマイルスには、ディジーのようなテクニックは無かった。「オレは、オレだけにしかできない音楽をやろう…」そう考えた彼は、少ない音数でミュートを多用した抒情的なプレイを自分の個性として打ち出したのです。このマイルスの音楽は“クール・ジャズ”と呼ばれ、もてはやされました。
その後のマイルスは、帝王街道まっしぐらです。プレスティッジ・レーベルの四部作と呼ばれる『クッキン』『ウォーキン』『リラクシン』『スティーミン』はハード・バップ期の最高峰といわれる作品ですし、ハード・バップが息詰まると、いち早くモード奏法を開発し『カインド・オブ・ブルー』という傑作を録音。60年代半ばにはキーボーディストのハービー・ハンコックやサックス奏者のウェイン・ショーターを率いてモード・ジャズをさらに発展させ、70年代直前にはエレキ・ベースなどの電気楽器とロックのリズムを取り入れた『ビッチェズ・ブリュー』を発表、後にくるフュージョン・ブームを予告したのです。また、彼が91年に録音した最後のアルバム『ドゥー・バップ』では、現在大ブームのラップが全編で使われています。
鋭い眼光を放つ眼で、いつも時代の一歩先を見つめ続けたマイルス。
彼に肖り、しばらくクリニックのBGMをジャズにしてみようと、、、
ご批判のコメントがあれば、承ります。