投稿日:2010年1月17日|カテゴリ:院長ブログ

(毎日新聞より)

 6434人が犠牲になった阪神大震災は17日、発生から15年の朝を迎えた。被災地では、さまざまな追悼行事が行われ、鎮魂の祈りがささげられた。


竹筒の中にともる追悼のろうそくの明かり=神戸市中央区の東遊園地で

 神戸市中央区の東遊園地で開かれた「1・17のつどい」(実行委主催)には早朝から約8000人(午前7時現在)が参加。「1・17」の形に並べられた約1万本の竹灯籠(とうろう)にともされた炎が闇夜に揺れる中、午前5時46分、一斉に黙とうし、犠牲者へ思いをはせた。

 弟(当時22歳)を亡くしたゴスペル歌手、森祐理さんが「しあわせ運べるように」を独唱、歌声が寒空に響き渡った。祖母(当時85歳)を亡くした神戸市北区の下浦裕美さん(49)は遺族代表として追悼のことばを述べ、「震災は多くの大切な生命、大切なものを奪ったけど、大切なことも教えてくれた」と語った。また、震災で後遺症を負った震災障害者と、その家族は矢田立郎・神戸市長と対面、15年間の思いをつづった手紙を手渡した。

 神戸市中央区の兵庫県公館では正午前から、「ひょうご安全の日推進県民会議」主催の追悼式典があり、皇太子ご夫妻や鳩山由紀夫首相が参列する。震災の教訓を後世に伝える神戸震災復興記念公園も同区で開園する。








 もう、あれから15年もたったのですね。

当時は、当直先の病院ですごい揺れを感じ、朝に、当時勤務していた明和病院に帰ってきたら、被災して怪我をされた方でごった返しになっていた状況が思い起こされます。 そして自宅に帰ってみると、これまたぐちゃぐちゃになっていて驚いたものでした。
 でも、現在もこうやって生かされている、、、感謝です。

6 Responses to “<阪神大震災>発生から15年の朝 さまざまに鎮魂の祈り”

  1. 薫風 より:

     
    十五年・・・ホントに過ぎたんですね。

    今でも、昨日の事の様に思い出す事ができます。

    昨夜、「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間」という番組を見ました。

    実話に基づいたドラマでしたが、当時の事が生々しく思い出されました。

    崩れ落ちた建物、その中に呼びかける人、ガスの臭い、血だらけの服で歩く人・・・

    真っ暗な神戸の夜景・・・

    命のある事が、どれたけ幸せな事かを、また思い起こさせられました。

  2. yoshioka より:

    薫風さん>

     経験した者でなければ分かり得ない感覚ですね。

    九死に一生を得た人なら生きていることのありがたさがわかるかと思います。

    その身体は大事にしてほしいものです。

  3. 坊っちゃん より:

    先生、おはようございます。

    1月17日は地震の日ですね。
    私は造文化住宅住宅の2階でした。
    石油ストーブそ点火したまま炬燵で寝ていました。
    地震である事を認識するのに時間を要しました。
    揺れる炬燵の中から身体が出ず、
    上下左右前後に揺れるストーブの火を消すまでが長かったこと。
    住宅は古いが故に柱が多かった事、
    古いが故に隙間が多かった事、
    等々が幸いし平行四辺形に変形したところで倒壊が免れました。
    その後は質の悪いキャンプのような生活を経て、
    柱と上下を隔てる床だけとなった文化住宅で暫く過ごしました。
    震災直後の医療現場の御苦労は如何ばかりかと、
    御察し申し上げます。
    先生の眼に映った当時の様子拝聴致したく存じます。

  4. yoshioka より:

    坊っちゃんさん>

     なかなかここで書く心境には、、、

     すみませんm(_ _)m

  5. タッチ より:

    「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間」
    私も見ました。

    当時、彼女の誕生日祝い(前祝い)を神戸の街で、その翌朝・・・

    震災の日=昔の彼女の誕生日

    学生時代を謳歌した街、神戸

    筆舌に尽くし難い街並み

    復旧・復興に寝る間もなく奔走した極寒の日々

    インフルエンザに罹った人たちに、温かい炊き出しの豚汁を

    被災した友人に、食料を背負って原付バイクで50k走破

    途中、車に足を踏まれて・・・(停車時、左利きは右足をつくのです)

    少しずつ、鮮明になってきた記憶

    田舎の母親から電話がありました。
    「テレビを見ていたら、涙が止まらなくなった」と。

    いつしか、わたしも鼻声に・・・

    確かに15年、時は刻んでいるのです。

  6. yoshioka より:

    タッチさん>

     誰もが、それぞれの傷を負った震災でした。

    今また、タヒチという遠い国で、震災にあわれている、たくさんの人が居ます。

    日本もやっと思い腰をあげ、医療チーム、自衛隊の医官、看護官の派遣を決定、、、

     インフルエンザ対策同様、批判するものはいつもありますが、、、そんなことは派遣される方には関係の無いこと。

     是非とも、しっかりと任務を果たしていただきたいです。

     神戸震災当時、村山政権での、自衛隊派遣が遅れたこと、それによって、助かったかもしれない命が失われたこと、今となっては、かもしれないなどは意味の無いこと、、、失われた命は返っては来ないのですから、、、やり切れぬ後悔だけはしたくありませんね、、、

     それでは、、、おやすみなさいませ。

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